飛沫節

はじめまして。略してNMということでひとつ。

【しんどろーむ】

『シンドローム


01-27-2007 07;37;05PM cut*1

症候群 しょうこうぐん
(英)syndrome (独)syndrom


身体にみられるようになった病的変化、症候(symptom)が多彩かつ纏まった状態で形成されみられる病的状態。シンドローム

先天性のものや精神性のもの、化学物質、日常習慣による影響など発病原因は単独ないし複数でいずれも多岐に渡る。

近年では特定の社会現象によって病的傾向をみせる人々の動向を指す接尾語に用いられることもあり、医学的根拠の無いものや公称性が低いものが増加している。*2


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症候群(しょうこうぐん)は、原因不明ながら共通の病態(自他覚症状・検査所見・画像所見など)を示す患者が多い場合に、そのような症状の集まりにとりあえず名をつけ、扱いやすくしたものである。人名を冠した症候群の名前も数多く、原因が判明した場合にはその名前が変更されたり、時には他の病名と統合されたりすることがある。

一方で原因判明後も長い間そのまま慣用的に使われている「症候群」は多く、逆に「〜病」の名を冠する原因不明の疾患も多くあり、実際には明確な区別がなされていないことが多い。*3


「原因不明」というものほど、この世に恐ろしいものは無いですね。


〜病、〜症候群。名前を与えて対象化→分析。その繰り返しで医学というか科学はここまで発達してきましたんですよね。名前が与えられると、そこにあった『不安』や『問題』というのは客体化されて、ひとまずの安心感が得られますよね。解決に至るにはそこからが大変なんですけど、客体化・相対化された時点で、『自分だけのこと』では無くなるというか。でも当然、『不安』や『問題』はいくら相対的に考えてみても、絶対的で個別的で、結局超克するのは『自分』、そういう闘いにはなってくるんでしょう。やはり人は孤独というとハイハイという感じですが。


調べていて気になったシンドローム

・ウィキ 『アスペルガー症候群』より


たとえば教師が、アスペルガーの子供に(宿題を忘れたことを問いただす意味で)「犬があなたの宿題を食べたの?」と尋ねたら、その子はその表現が理解できなければ押し黙っており、先生に自分は犬を飼っておらず、普通犬は紙を食べないことを説明する必要があるのかどうか考えようとしている。つまり先生が、表情や声のトーンから暗に意味している事を理解できない。 先生はその子が傲慢で、悪意に満ち、反抗的であると考え、フラストレーション を感じながら歩き去っていくかもしれない。その子はその場でフラストレーションと何かがおかしいと感じながら、そこへ黙って立ち尽くすことだろう。


アスペルガーの人は、特異な言語感覚で話すことがある。 「水漏れ」を「水濡れ」「阪神大震災」を「阪神地震」「暴行」を「妨害」「ほしがりません勝つまでは」を「勝つまではほしがりません」などと、微妙にニュアンスは合っているものの、他人と共有できないもしくは理解に努力が必要な言語を、意図的に使うことがある。また、漢字を読むのにも「格闘技」を「かくとうわざ」と読んだり、音読みと訓読みを意図的に違えて発声する場合もあり、これのいずれにも共通しているのは、「水漏れ」「阪神大震災」「暴行」「かくとうぎ」「ほしがりません勝つまでは」という言葉を本人はきちんと知識として認識していることである。にもかかわらず実際に自分の口から発するときには、独自の語彙で表現することに固執するのだ。*4


レインマン」、「モーツァルトとクジラ」、テレビドラマの「僕の生きる道」等、創作のテーマの一つとして扱われることもままある症候群のようです。そこにはやはりこの症候群患者の有するその特殊な『感覚』に、ある種の『面白さ』があるのでしょう。


『面白さ』というと語弊があるというか、ともすれば差別的で酷く残酷な表現なのかもしれませんが、こうして映画(商品)として名を残すからには、そこに人々の心を惹きつける何かしらの『魅力』が有るのではと、そう思います。もちろん、作品を構成する一つのファクターとしてアスペルガーは有るだけで、それ自体がその映画の『魅力』とは言うわけではないのですが。ただ、僕個人の感覚として、『病気』や『症候群』をテーマに置く創作ってホント何でこんなに多いのか、というのが有ったので。


話が逸れました。


ともあれ、『普通』とは何か、『異常』とは何か、症候群というのはその境界に位置する『何か』、その微妙なニュアンスを含む言葉なのかなと、そう思いました。