飛沫節

はじめまして。略してNMということでひとつ。

【いまーご】

『イマーゴ』



Imago*1

・imago
【名-1】 《昆虫》成虫{せいちゅう}
【名-2】 《動物》成体{せいたい}
【名-3】 《精神分析》イマゴー◆おとなの行動やその決定において強い影響力を持つ内面的な像で、幼児期に形成される。*2


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「イマーゴ」とは、精神分析で「幼い時期に形成されたまま、成年時まで保持されている愛する人(親)の理想化した概念」を指す言葉です。初演のプログラムノートには、「記憶の断片を濾過し精製した、両親へのノスタルジックなオマージュでもあり、対象のない一つのラヴ・ソングでもある。」と記しています。*3


二つ目のリンク先で聞ける小竹知紀さん作曲の『イマーゴ』、美しく、懐かしくて、そしてはかない曲ですね。しかし、また意図しない形で、『親』が出てきました。幼少期ってのは、よくその人間のエッセンスが形作られる時期だと、そう言われますよね。生まれた時点は限りなく『無』に近くて、年月と経験を重ねていくにつれ『有』になるというのは、『成長』という言葉から考えても自然な捉え方かもしれません。
でも最近思うのは、生まれたときこそ『有』で、その後限りなく『無』へ、という流れの方が表現として適当であるのではないかということです。主としてメンタルな部分でだけど。『裸にて生まれてきたに何不足』、つまりあとは、失えど得ずというかね。


例えば、子供の頃の万能感が、オトナになるにつれ徐々に打ち砕かれていくアレとか、そういう『喪失感』ってのも、その『有』から『無』へのプロセスの中では誰しもが味わってしかるべきものなんでしょう。精神的には、色々なものを捨て去って、『無』に帰していくと言う方が妥当かな、っていう。


『イマーゴ』というのは、その『無』へのプロセスのなかで、人の中で最後まで『無』に帰さないもののことなんでしょうね。それが捨象されてしまうと自我の崩壊につながりかねない、そういうもので、つまり、消えない。恐らく胎内に生じた時点から『親』というものへの意識というか想念を保持させられる人は、『親』への固執というか、そこから必然的に形作られる、ある種の理想像(呪縛)から逃れられないのかなあ、とか。家族の不気味さとか、あの話も絡んでくるんでしょうね。


まとまんなくなったのでまた来週。