飛沫節

はじめまして。略してNMということでひとつ。

【って】

オレそんな場合じゃないのだが、それでもマス書きたくなるのもオレの性なわけで。

asahi.com:政治とカネ幕引き懸念 与党も説明不足指摘 松岡氏自殺


http://www.asahi.com/politics/update/0528/TKY200705280439.html


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しかし、松岡氏は今国会で「政治とカネ」をめぐる問題で追及され続けてきただけに与党内の視線も複雑だ。


 久間防衛相は「誰しも脇が甘いと言えば甘いが、もう少し脇を詰めておけば、という思いはする」と指摘。矢野哲朗参院国会対策委員長も「松岡氏が十分説明したことでこの国会を今の体制で乗り切ることが安倍総理のリーダーシップにつながると支援していたが、こういう展開になって本当に残念だ」と述べた。


 松岡氏の説明を不十分だとしてきた公明党北側一雄幹事長は「不十分なまま終わってしまったことをどう思うか」と記者団に問われ、「残念だ」とのみ答えた。


 一方、野党各党は、批判の矛先を安倍首相に向けている。


 民主党鳩山由紀夫幹事長は「もっと早く(松岡氏を閣僚から)解放してあげればよかったのではないか。自分のしたこと(の重み)と、安倍首相が(松岡氏を)かばっていたことから、その相克の中で悩み抜いたのではないか」と指摘。「政治とカネの問題は国民の不信を買う最大の要因だったから、なおざりにはできない。国民が許すと思わない」と強調した。


 共産党市田忠義書記局長は会見で「様々な問題で疑惑をかけられていたわけだから、事実を国民の前に明らかにするのが政治家の取るべき態度だ。安倍首相は一貫して松岡氏をかばい続けた。松岡農水相が追い込まれるようになった背景、原因を首相として国民に明らかにする責任がある」と語った。


 社民党の福島党首は「問題点は何も明らかになっていない。もうちょっと説明責任が尽くされたら、と思う。安倍首相には、任命責任と、きちんと説明をさせるなり辞めさせるなり責任があるのに何の対処もしなかった。自分の内閣の生き残りのためだけに辞めさせなかった。ここまで追い込んだのは安倍首相の責任だ」と批判した。


 国民新党亀井久興幹事長は「よほど思い詰めた結果だと思うが、政治家として堂々と国民の前で説明をしてほしかった。首相の任命責任は当然ある」。新党日本田中康夫代表は「緑資源機構の談合問題をはじめ農林水産行政のあり方が問われている今こそ、松岡氏にはその豊富な知識と経験を生かして、最後まで責任を取って陣頭指揮を執り続けていただきたかった」とのコメントを発表した。


ソースが見つからなかったが、某都知事氏はテレビでこんな旨のことを言っていた。


『死をもって償ったという意味で、彼も「侍」だったのかな。』


というような。はっきりと覚えていなくて恐縮だがこんな感じ。侍の美徳も結構だけども、それが美徳とされていた時代だけにしてくれよと、ってもしや今もなの?「誇り」高いにも程があるもん。個人的には今じゃただの笑えないジョークでしょって思うんだが、ってのはキツすぎる言い方か。


上の記事で幾人かの先生方が責任責任と仰るとおりかと思うが、まだ何も終わっていないだろ。何かこちらとしても、ナントカ還元水トカそんなに関心なかったが、ちょっといじめ傍観者的感覚で後味悪いじゃんか。いやそれは違うか。その、バックに巨悪がとか色々あるんだろうが、為すことに『責任感』を持つようになるのが、オトナの第一歩だとボクはママから教わったよ。


ああ、こんなことしてるべき時期じゃないんだがスミマセンおかあさんおとうさん。その自殺って、例えば年齢もあってとか、晩節怪我したくないとか名誉関係?それとも脅迫か?それとも。って、こういうこと考えてると、またその『死』のエトセトラが頭をもたげてくるんだな。


光市・母子殺害差し戻し審初公判 本村さん「2人の命 無駄にしたくない」
Sankei WEB


http://www.sankei.co.jp/shakai/jiken/070525/jkn070525000.htm



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「2人の命を無駄にしたくない」−。被害者の遺族、本村洋さん(31)はこの日の法廷で、2審判決以来約5年2カ月ぶりに被告と対面した。事件から8年余り。会社勤めのかたわら裁判を傍聴し、被害者や遺族の権利拡充を求め全国で講演活動を続けてきた。天国で妻と長女に再会したとき、「パパは一生懸命に生きたよ。頑張ったよ」と言えるよう闘ってきたという。


 平成11年4月14日の朝、「パパ、早く帰ってきてね」と笑顔で送り出してくれた妻、弥生さん=当時(23)。ハイハイしながら、うれしそうにジッと自分を見つめていた長女、夕夏ちゃん=同11カ月。事件現場に足を運べば、8年前の記憶がよみがえる。


 「この場所で、妻と娘はどうやって人生を終えたのか」。事件直後は仕事が手につかなかった。「なぜ家族を守れなかったのか」「どうして会社に行っていたのか」と、自分を責め続けた。


 事件から約半年がたち、殺人事件の被害者遺族である岡村勲弁護士らと出会った。「苦しんでいるのは自分だけではない。犯罪被害者や遺族の思いを社会に知らしめることが、2人の命を無駄にしない道ではないか」


 平成11年8月の1審・山口地裁の初公判以来、傍聴を続け、妻が受けた性的暴行などの実態をマスコミなどを通じて公表、被告への極刑の適用を一貫して訴えてきた。


 しかし、法廷では秩序維持との理由により、犯罪被害者や遺族らが傍聴席から被告人を直接追及することはできない。山口地裁では妻と長女の遺影を法廷に持ち込むことも制限され、当事者が裁判にかかわれない理不尽さを痛感した。


 その後、「全国犯罪被害者の会」の設立に参加。岡村さんらとともに被害者や遺族の権利拡充を国に訴えてきた。


 活動のなかでは「自分の考えを通すことの難しさを感じた」と振り返るが、国会では現在、刑事訴訟法改正案が審議されており、被害者らが刑事裁判の法廷に直接参加できる制度の実現に道筋をつける中心的な役割を果たした。


 約5年2カ月ぶりに被告と対面することになったこの日の法廷。


 「少年ならばいつかは社会に出られるだろうという安易な考えから殺人という卑劣な行為に及んだのではないか。命をもって罪を償うのは当然」と話し、被告から送られてきた手紙も、刑が確定するまで、開封するつもりはない。


 上告審を機に傷害致死を主張し始めた弁護側に対しては「本当の更生のチャンスを失ってしまうのではないか」と、憤りさえ覚えている。





cf.光市母子殺害事件 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E7%9C%8C%E5%85%89%E5%B8%82%E6%AF%8D%E5%AD%90%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6


その木村氏の『キモチ』は分かる、ワケなくてそりゃボクは妻も子供も殺されてしまったことなんてないから。ただ本当にとても気の毒で、ほんで『テメエ死ねよ』ってなるのちょっと想像がついて、ソレは所詮僕の同情とかある種の自慰というか示威に過ぎないのかもだが、彼が加害者の死を求めるのはそうかもなって思う。


ただ、その、コレを松岡氏の自殺と結びつけるのはオカシイし、あらゆる面で事件としての相が違うしそもそも自殺と殺人じゃってのはあるんだろうが、とにかくヒトは死んだらオワリ、少なくとも物質的には完全なるオワリなわけで、そう考えるといい加減死んで責任取るってスタンスと死んで責任取らせるってシステム止してくれって思うんだな。責任というのは、人間が生きて取るべきものでしょうよ。償いというのは、ヒトが生きてまっとうするべきことでしょうよ。


ボクは、昨日をもって会計士試験三度ヲチが9割確定してしまった只野アホであり法の精神とかもちろんよく分からない。ましてや死刑廃止論云々いうほどの見識もないわけでまさに管を以って天を窺わせてもらうが、法というのは最後までヒトを活かすためにあってくれよ、とそう思う。


死ねヨって思われるような罪犯した人間には、死ぬほど苦しい、もしくは死ぬより苦しい罰というのを与えて『責任』取らしてやればイイじゃない。生涯牢獄というのも、相当苦しいと思うよ。これといって娯楽の無い引きこもりなんてフツウ成立しないよ。つーか死んでも償いにはならないっていう考え方も結構筋通ってるじゃんよ。死の代価には死を、というのも実に人間的なんだけれども、死の代価には不名誉・財産・精神的苦痛・時間etcを、というのも人間的でしょうよ。後者の方が色々とコストかかるけど、それも福祉というやつでしょってオレは思うよ。
それムリなら、せめて死刑ボタン(ンなもんあるのか)押すヒトに宝くじ一等くらいの給料やれよ、やってたらスマソ。つーかいってみれば人殺しを依頼するんだから原告が多少の金払うくらいのシステムあっていいんじゃないのかってのはさすがに不謹慎か。


ある立ち位置から見ると法はヒトを殺すためにあって、別の位置から見ると法はヒトを守るためにある。そんな錯視感要らないよ、こっちはガキだから、世の中キレイめのとこだけ見たいんだよ。法は徹頭徹尾ヒトを生かすためにだけあってくれ。たとえ9割9分の国民がテメエ死ねよって言ってるヤツでも、法だけは、まあちょっと待ていやアカンという役割、担ってくれよ。



まあ、出来たらですけど。