【いすたんぶる】
『イスタンブル』
イスタンブル、あるいはイスタンブール(トルコ語 : İstanbul)は、トルコ共和国西部に位置し、ボスポラス海峡をはさんでアジアとヨーロッパの2大陸にまたがる都市。首都アンカラを上回る同国最大の都市で、イスタンブル県の県都でもある。2000年の人口は約880万人で、イスタンブル県全体では1000万人を越える。
中略
イスタンブルは、古代のビュザンティオン(ビザンティオン)、コンスタンティノポリス(コンスタンティノープル)と同じ町である。*2
・YouTube - istanbul
http://www.youtube.com/watch?v=2YAvfxA6a94&mode=related&search=
1453年、コンスタンティノープル陥落。世界史はもう相当抜けてるけども、これは忘れないんだよなあ、何故か。そして東ローマ帝国滅亡、と。ついでに百年戦争も終結したんだよな確か。うーん、世界史って、教科書で学ぶもんなんてたかがしれてるよ、実用性を考えても微妙。と、以前誰かにそう言われたけど、そりゃそうかもなんだが、それでも多少の『世界』へのイメージの仕方みたいもんは身につくと思うんだよなぁ。僕のイスタンブルへのイメージは、上の動画のように、イスラミックな感じと、ヨーロッパ文化の華やかさが入り乱れる幻想都市という感じ。まあ、日常を切り取ればこんな感じなんだろうが。
・YouTube - people in Istanbul, Istiklal-street1
http://www.youtube.com/watch?v=p861LxJZovQ&mode=related&search=
しかし、上の写真でみると、都市が海で見事に分断されてるのが分かるね。
―――東ローマ帝国の1000年を超える歴史の中で、コンスタンティノープルは幾度となく軍隊に包囲されてきたが、占領されたのは第4回十字軍による一回だけであった。また、10世紀のブルガリア王シメオン1世や14世紀のセルビア王ステファン・ウロシュ4世ドゥシャンのように東ローマ帝国を完全に征服しようと意図した者はいたが、実際に成功した者はいなかった。しかし、メフメト2世はこれを目指したのである。
中略
メフメト2世は1452年にボスポラス海峡のヨーロッパ側、つまりコンスタンティノープルの城壁の外側に城を建て、都市を陥落させるための足がかりとした。この城は「ローマの城」という意味の言葉でルメリ・ヒサルと呼ばれた。*3
千年来難攻不落を誇った都市の陥落。ロマンだぜ。宮城谷昌光さん*4の中国小説みたいな感じで、この辺りの歴史を描いた良い小説とか無いかなあ。それらしいものがあれば、どなたかご一報ください。
*1:イスタンブル市街の衛星写真。左がヨーロッパ、右がアジアで、両者の間を隔てるのがボスポラス海峡。海峡の南がマルマラ海で、北が黒海。
*2:イスタンブル - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%AB
*3:コンスタンティノープルの陥落 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%AB%E3%81%AE%E9%99%A5%E8%90%BD
*4:宮城谷昌光 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E8%B0%B7%E6%98%8C%E5%85%89