飛沫節

はじめまして。略してNMということでひとつ。

【Tuomo】

●CD


My Thing


こ、こっちもたまらん〜。何だ一体、アーネストくんにせよステイトレスにせよ、北欧というところはどうしてこう次から次に若手の才人が…。『26』(年齢?)、良い!Luomo、じゃなくてTuomoさん良いですよ。ソウルって何ぞや僕未だに分からんが、多分これがとってもソウルフルということ、感服。
日本のアーティストにも、例えば平井堅さんあたりに、こういうニュージャズ路線の泣きメロを一発二発やってほしいなあ…。沖野修也さんあたりプロデュースで…。でも自分で書いた曲だから、また曲としてのグルーブみたいなもんが違ってくるというのもあるんだろうなあ。→試聴



フィンランドのナショナル・チャートで13週連続トップ40入りを果たしたTuomoのデビューアルバムが日本上陸。TuomoことTuomo Prattalaはフィンランドヘルシンキを舞台にこれまでもキーボード・プレイヤーとしてQuintessenceやQ-Continuumといったバンドで活躍。ジャズ・ピアノ奏者としても各国のコンぺで優勝するなどワールド・クラスの実力を持つ。その溢れ出る音楽的才能は作詞・作曲、ヴォーカルまでも自ら担当。フィンランドのベスト・プレイヤー達が参加する生バンドを引き連れてのパーフェクトな演奏と稀有なメロディ・センス、そして上質な70sソウルのフレイヴァに満ちた最高のポップ・センス。キャッチーな「Don't Take It Too Hard」収録!


Tuomo - My Thing - HMV
http://www.hmv.co.jp/product/detail/2573383


つかこういう表現でいつも思うが、70’sだかなんだか、本人がそう表現し過去をリスペクトしているのか知らんが、何で『ポップセンスに満ちた2007年のソウル・ミュージック』と形容して終われないの。筆者が言いたいだけじゃないのか、『過去は偉大なんだ』と。先駆者というものはもちろん偉大だし、それだけ”上質”な楽曲、シーンがそこにあったというのは事実なんだろう。だけども、”その時代”への共感を呼び起こそうとしても、どれだけ言われてもその頃僕は生きていないし、詰まるところ分からない。


と、その「分からない」と矛盾するようだが、音楽の良いところというか、大きな作用効能の一つとして『超時代的な再現性』がある。その意味で古い音楽も新しい音楽もない。ある名歌を口ずさめば、その楽曲からは『いつ何時でも変化しないある一定の想念』を繰り返し喚起させられる。それが音楽だから、その楽曲のすばらしさはある意味では色褪せない。ただ、そうした性質だけに音楽は、『時代』と切り離して捉えることもできると思う。いつどこの影響なんて、本当は問題じゃない。新しい音楽を語るときは、僕らが『現在』、『ここ』で聴いている音楽を、『現在』、『ここ』の言葉でもって表現してくれよ(というか言ってしまえば音楽に音以外の表現なんてない、『弾いて、聴く』だけなんだが、それでも言葉による音楽への接近は無駄ではないと思う、”色々”な需要がある。)。


ソレが果たして過去との文脈で語るだけで足りる代物なのか。70’sソウルと言っただけで、ああマーヴィンかカーチスかなんて、”分かった”気になっているんじゃないのか。『現在』に在るその対象への注意観察がそこで止まっているんじゃないだろうか。今生まれた音楽だろう、70年代じゃない。あえて言うが、音楽を文脈で語らないでくれ。70’sと言ってしまえば、そこへ回帰せざるを得ない。繰り返すが過去は偉大だ、けれども特に音楽に専門的な人間ほどそこの思いを馳せているだけでは駄目だと思う。『今』北欧でこうしたアーティスト、作品がクリエイトされたという事実と、その楽曲自体にもっともっと意識を働かせるべきじゃないのだろうか。