飛沫節

はじめまして。略してNMということでひとつ。

【FIELD OF VIEW - 君がいたから】


僕に一番、強烈にストレスを与える人間が、

「自分にストレスを与える人間を大事にしたほうが良い」

と言うのだから困る。


その意見に大いに得心するところが、もっと困る。


なぜストレスを感じるかと言えば、それは僕がその人物を強く「意識」しているからであり、これを男臭くのたまえば、“ソイツ”をある種の『好敵手』であると手前勝手にそう設定しているからである。こちらが興味無く、あちらにもそれが無い、そういう当たり障りの無い間柄の人間から、これほど強烈なストレスなど受けない。


いや、ライバル視しているという表現、それだけでは不十分だった。そいつが僕のストレス源足る最大要因は、僕が普段自分の「意識」の管理下に“置かない”類の問題、無意識に封じ込めているような問題を、自覚的あるいは無自覚に引きずり出しにかかるからだ。好敵手と言ったが、8割方は『敵』と認識している。無論、大嫌いである。


それでもここまで関係が継続しているのだから、何か「重なる部分」があるというのが前提としてあるのだろうが、それでも両者は多くの点で異なっている。そこで僕に、そいつの全てを賞賛したり認容出来る度量もなく、むしろ大部分否定しているというのが正直なところだ。それでもそのある部分、良悪いずれにせよ僕と決定的に「異質な」部分を持ち合わせているということ、それへの羨望、嫉妬、尊敬、軽蔑、友愛、嫌悪、支配、被支配、失望、その他あらゆる感情が心的ボウルの中で攪拌され出来上がるもの、それは得体の知れない何かである。


分からない何か、それをひとまず換言すると、「恐怖」だろう。


何とか受容せんとするが、なかなかそうもいかないという葛藤、つまり、そいつはまさに僕のコンプレックスの投影対象であり、それと接触する際には、人と接することに本来的に伴うであろう緊張感(ストレス)が生じる。この場合、それは他とは比較にならないレベルで、在る。


まあ大分折り合いがついてきたというか、利害調整の進んできた側面はあると思うが、結局いつも、僕の内で否定の真理(多分、プライドのようなもの)が勝ち、衝突するのである。詰まるところ他人というものは、己とは「違う」存在である以上、すべからく衝突は避けられないのだとすら思えてくる(事実そうなのかもしれないが、程度問題である)。


ただ、そうした否定的な心情を持つこと、あるいはこうしてその心情を一人吐露してしまうこと、それ自体がある意味で、ソイツへの僕のオマージュに他ならない。俺はそいつを、否定したいほどに激賛しているのである。普段なかなか、何かを否定するほどの攻撃性を発揮「したくなる」状況はない。基本的に“住み分け”を考えるほうが穏当であり、妥当なのである。だからこれは、僕の「執着」でもあり、客観視すればいわゆる同属嫌悪なのかもしれない。



ともあれ。
そういう人間を大事にしろと。
その緊張と恐怖が肝要、そう僕に言いたいのだろう。
それを乗り越えること、あるいは上手く共生出来るようになるのが「成長」だと。


最もだと思う。


ただ、それもやはり程度問題である。云々言われても、会うたびにクラッシュを引き起こす人間と、行動を共にするのは辛い。だから距離を置く。僕のそうした軟弱な心理もまあ理解できるということだろう、「敵」も距離置くことにひとまずは同意する。


いずれヤツが痺れを切らしても、僕は今のところ逃げ続ける。余計なストレスを抱える余裕が無いからである(今後も無ぇよと言われれば、否定は出来ない)。でも、いずれは僕の方が一層執着してしまうかもしれないとも思う。なぜか。無論、いずれかの働きかけが無ければ関係性は途絶えるし、先のことは分からない。ただ、これでも僕は、出来る限りではあるが、人生「前向き」に生きたいナ♪なんていう楽天的マインドを持つ、80年代の申し子である。


恐怖から逃げ続けるよりも、向き合いたいという意志を、一応は有している。
その意志が途絶えない限り、ヤツの居るこの世界で、踊り続けるほかないのである。



と、今ここまで読み返してみて、いつものことながら僕って心底キモイ奴だなって思いました。でもまた、その気恥ずかしさより、こういうキモい自分があったということを自戒的に刻んでおこうと。さらにはそれを公開しつつ、羞恥プレーの快楽に悦ぶのもオツだよねと。


そんな損益斟酌のもと、今日もこのWebの片隅にある飛沫ブログに、ひまつぶしのつぶやきを残しておくことにしました。ところでこの、「祭りのあと」に続く、ひとりよがりで歌うドラマ系カラオケソングなんですが、FOVのこの清涼感と言ったらないですね。DEENと並ぶ二台巨頭ですね。


例によって意味内容を曲解しています。初めはくっさい歌だなって思って、ほんでやっぱくっさい歌だなって今も思うけども、最高です。ただ、ドラマの方(ナカイ君若いな!)はまたも挫折したままですスイマセン。


坂井泉水さん、素晴らしい思い出リリック、どうもありがとうございました。
どうか安らかに。


YouTube - 君がいたから ZARD 


【追記:死ぬべくして生まれ】


“ソイツ”との「接点」が失われつつある今、読み返してみて思う。


こうしてネットの片隅でひとり、手前勝手に“ソイツ”への思いをぶちまける。なんてのは、どんだけ俺って卑怯なのだ、狡猾なのだ、幼いのだと。ただ、それでも消えない“ソイツ”への執着があるということを、もう少し、どうしても記しておきたい。




ところで、事実を並べることで「あのときの現実」つまりは「過去」というものを、正しく説明出来るか。


人が「歴史(≒過去)」の全てを記せないように、「現実」というものは言葉だけで正しく表せるものではないだろう。なぜなら、そのときその場において「五感」を働かせることでしか感じ取れない「空気感」があるからである。ではこの「空気感」とは。少し抽象的に過ぎる表現だろうか。具体的にどう換言すればよいのか分からないが、強いて言えばそれは、「そのときにしか存在しない情報」である。


その「情報」とはおよそ、こうして後になってから、記憶のみを頼りに言語で説明し得る代物ではない。無論、その足がかりとして事実を羅列するというのも、その「情報」を構成する一部分に、主観的に焦点を当てる作業に過ぎず、「情報」全体を完全に復元するものではない。だから当然、「あのときのあの状況」という「過去」を、「正しく」説明することにはならないのである。


何が言いたいかって要するに、「過去」を語るのは難しいってことだ。そしてこのことは、僕がこれから再び、陰口を叩くように“ソイツ”について記すことの免罪符にはならない。はじめにそれをはっきりさせた上で、僕は愚かにも、あのときの「事実」と、そのとき五感を通じて感じた全てを振り返り、それについて記しておこうと思う。「過去」にあった「現実」を少しでも復元させるために、僕はそれを忘れていないし、忘れたくないからである。しかしどうだろうな、“ソイツ”ならこんなことは歯牙にもかけないのか、それとも腹が立つのか、後者だとしたら、ごめんなさい。




高校も三年という頃だった。
朝学校に登校し教室に入ると、自席に、丁寧にも8割程「中身」の入ったゴミ袋がおいてある。
それを実行したのは、“ソイツ”であった。


これは事実であり、それを「端的」に述べたものである。つまり前後の経緯等は考慮外、そのときあった一時の状況、つまりは当時の僕の「現実」を構成した一片に過ぎない。また、こうしてその事実だけに焦点を当てるのはアンフェアかもしれないが、ただ、どうだろう、笑い事だろうか、高三にもなって何を(笑)、だろうか。


まあ、「(笑)」だろうな。だが、当時の僕にとってはそうでなかった。鮮烈に記憶している、その映像がいつも、ふとした拍子にスッと蘇る。ささいなこと、トモダチ同士のジャレ合いか、あるいは僕に「耐性」が無さ過ぎたのかもしれない。でもそれは、それまでに無い屈辱であったし、同時に、感じたことの無い感情が沸いた。


自分に殺意というものが生じた瞬間があるとしたら、現在までのところ、あのときだけであると思う。明確に、こいつ殺してやろうかと、正直に言って、それからしばらくの日々を、そう思って過ごしていた。それまでも、年間15日までズル休み可能な校則をフル活用して「休暇」を楽しんでいたが、より一層学校に通いたくなくなったのを覚えている。



幼い頃から、柔和で温厚と言われていた。ややふくよかな体型が発する、「外見」の効果もあるのだろう。事実自分にはそういう側面があるかもなと、そうも思う。ただそれよりは、内心負けん気が強く、何かにつけ実態を伴わないプライドだけが先行しがちで、高慢なところが大いにあって、昔からそういった自覚の方が強かった。そういう僕の本質を、“ソイツ”は早くから見抜いていたのかどうか、それは分からない。だが、先に述べた、あのときの「事実」は、そうした僕の本質を見事に刺激し、僕を激昂させ、また絶望させた。


“ソイツ”とは、高二から同じクラスになり、徐々に互いの距離を縮めていった。とは言っても、年中一緒の仲良しこよしというわけでもなく、かといって全く相互干渉なし、という間柄でもない。校外での私的な付き合いがあるわけでもない。学校生活において、たまに生じる互いの空白を、時々埋めあう。多分、そんな関係性であったと思う。だから、件の「事実」は、そうした微妙な関係性におけるジャレ合いの一種だったというのは、そうかもしれない。



スクールカーストという語をネット上で知ったが、ああ、当時ぼくらにとって学校という場所は、まさにその表現が当てはまるところだったのかもなと、そう思った。“ソイツ”も僕も、そういったどこにでもあるパワーゲームの中で、学校生活を過ごしていった。その日々のなかで“ソイツ”と僕との間には、いわゆる「いじり役」と「いじられ役」という関係が、ぼんやりと成立していたように思う。その関係性に、僕自身救われていた面もあったし、大体において満足していた。


だが、件のスクールカースト的な序列のストレスにも何とか慣れ、そういったものからついに解放され、囚われなくなり出した高三というその時期に、自席におかれたゴミ袋。それは、少しずつ均整が取れ、まとまりを持ち出したかに思えた僕の薄弱な自意識を、それすら幻想と言わんばかりにぶち壊した。


“ソイツ”に悪気はなかったのかもしれないとか、考えてみれば僕が情けなさ過ぎるとか、そういうメタな視点を持つに至ることなく、ただただ憎悪と怒りが沸いた。「いじり役」としての行為か、悪気は無かったのだろう。だが、そのとき起こった事実と、そのとき沸いた感情とは、その後も消えることなく僕の内に刻み込まれたのである。



「その後」と言ったが、上の本文にあるように、“ソイツ”との付き合いは続いた。はっきりとは思い出せないが、ゴミ袋の件は、考えてみればやはりささいなジャレ合いだという了解もあったのだろうか。それとも、もとが付かず離れず、利害の一致する限りにおいてひと時の間協調する微妙な関係性であったため、それが決定的な関係性の破壊要因に至らなかったのか…、いやそれより何より、結局お互いに「孤独」だったということが一番大きいように僕は思う(こう言うと怒られそうだが)。


当時、“ソイツ”は“ソイツ”なりに、僕は僕なりに孤独を癒す「術」があったと思うが、高校卒業後、互いに浪人生という同じ境遇におかれた僕らが、それまでの関係性を維持していたのはそう不自然なことではないだろう。むしろ、そうして同じ境遇下におかれたことで、高校の時分より、単なる一時の協調関係といったものよりは、緊密な関係性を持つに至った、と思う。


と、さも当然という風に書いたが、この「接近」の大部分は、“ソイツ”の積極的な働きかけによるもので、僕はと言えばいつも大名気分、誘われるのが当然、しょうがない付き合ってやるよ*1という風な態度で。いつまでも高校生気分、いじられることのみに甘んじていた。


“ソイツ”はとにかく人格的に「面白い」人間で、僕自身としてもその「面白さ」に惹かれていて、すごく勉強になっていて。だから今思うと、あの「付き合ってやってる」というような態度は、実に嫌な野郎だったと思う。そういう僕を懲りずに「いじり」続けてくれたところは、本当に、とても感謝している部分である。これを「有難う」と言うと、“ソイツ”にすればとんだありがた迷惑かもしれないが、有難うございました。




というか駄目だ全くまとまらない。「起点」とも言える高校生活での怒りや憎悪、そしてその後の関係性への感謝、そういった“ソイツ”への複雑な感情について、どうしてもメモしておきたかったのだが上手くいかない。まあ今となっては、“ソイツ”からすればどうでもよい話なのかもしれない。


だが、これほど多様で多大な、正負あいまった感情を一人の人間へ持ったのは、これまでに“ソイツ”だけで、とても貴重な経験だったことは間違いのないことだと思う。だからどうしたのだと言われると、いやどうもこうもないという感じで。要するに今現在、上述のようなことをネチネチと考えていて、そして結局のところ、相反する感情は今も変わらず在り続けて、この先どうなっていくのかも分からない、ただそれだけのことであるのだが。

*1:ウィー ワー ノット ゲイ。