飛沫節

はじめまして。略してNMということでひとつ。

【仮想兄弟】



Bjork - My Juvenile



僕は、いわゆるひとつの「一人っ子」である。


だから、兄弟がいるってどんな感じだろうと、幼い頃からことあるごとに考えてきた。いや、漠然とそういうことを考えているというのでは言葉不足かもしれない。何と言えばいいのか。少し強調的に過ぎるかもしれないが、頭のなかに僕だけの兄弟像が鮮明に出来上がっている、いわば常に『仮想兄弟』のようなものが傍らに存在しているような感覚がある。そう言った方が自分としてはしっくりくる。これは、現実として兄弟のある人には伝わりづらい感覚かもしれない。あるいは、同じ一人っ子であっても僕だけの感覚なのかもしれない。


「一人っ子じゃなかったらそうはいかないよ」、両親から言われるとする。「まったく一人っ子だな〜」、友人から言われるとする。そういうとき僕は、いつも自分の内の『仮想兄弟』に問いかけてきたのである。「どう行動したらいい?」と。兄や姉は少し落ち着いた行動を取るようだ、なら自分もそうしてみようか、いないけど。弟や妹のように少しダダをこねてみようか、実際、いないけど。


そのように、いつも自己のうちに別の『誰か』を想定し、その『彼ら』の行動を模倣したり参考にしたりするような感覚。そして、そうやって行動した結果「一人っ子っぽくないね」、そう言われればそれは「正解」で。すると僕の内の『彼ら』、『仮想兄弟』は、より現実味をもって存在するようになる。こんなようなプロセスを、自分は繰り返し経てきたように思える。


もちろん、本当の「お手本」が身近にあるわけではないので、どうやら選択した行動は的外れらしいぞってなときもあるし、『仮想兄弟』なんて無視で怒ったり、わがままになったり、そんな風に「一人っ子」がむき出しになることもあるのだが。ともあれ、そうやっているはずのない兄弟を想定して自分を矯正していくような感覚、それが僕の内には常に、どこかにあるように思える。


なんて、少し大仰だろうか。多重人格じゃあるまいし、要は周囲をみて判断し、模倣し、行動するということ、日常誰でもそうしているよと言われれば、確かにそうかもしれない。一人っ子的コンプレックスだ、そうかもしれない。単に「自分」が確立されていないだけ、中二だ、未熟なのだ、そうかもしれない。どうなんだろうな実際。


先日、祖母が緊急の手術で入院した。結果的に何とか無事に済んだのだが、そういう人の「死」に向き合うようなとき、僕の中に最もはっきりとした形で『仮想兄弟』が立ち現れる。いるはずのない兄弟が死んでしまったような、いや、うわあ、死んでしまったのだ。そんなことを考えて途方もなく悲しくなるのである。これは、人の死を想うことで自らの死を想い、理解する、そういうことなのかもしれない。だが、そうじゃないんだ、どうも違うんだという気もする。本当に、僕の兄や姉や弟や妹が逝ってしまった、もう会えないというような思いに駆られるのである、いるはずもないのに。



ヴォルタ