飛沫節

はじめまして。略してNMということでひとつ。

【フジファブリック - 赤黄色の金木犀】


ほんで、恒例の残暑が続くと。夏は嫌いだけど、着るものは楽で良いな。
今年も例によって、11月半ばくらいまでは、元気な外人さんよろしく半袖で粘ってやろう。
あの、「おまえ寒くないの?」っていう、みなさんの暖かい視線がたまらないんだよな。


とはいえ、さっきから窓の外からこおろぎだか鈴虫だか松虫だかの鳴き声が切なげに響いていて。
大好物の秋も、やはり到来しているわけですね、良いよなぁこの感じ。


いつかもメモッたけど、私NMの中では秋のバンド、秋の音楽です。
何でって、主にこの曲の印象だけでなんだけども。


イヤホンボーイになる通学途中、ただただ繰り返し繰り返し、聴いていた。
その際、歌詞とか結構無視気味というとアレだが、旋律と声のバランスが絶妙だった。
秋の情景にもすごくマッチしていたし。



そも秋というのは、朝家を出るとまず空気が澄んでいる。
近所の地主さんの家からは、金木犀の香りが漂ってきたりする。
息苦しいだけの満員電車も、遠くに見える山々の稜線が美しく、心なしか川の流れも穏やかで。


そうして、僕もだんだんと穏やかになっていく。


大学に着くと、銀杏並木が少し緑がかった鮮やかな黄色に染まり始めていて。それがその下を歩く女の子達の、落ち着いた色合いでコーディネートされた服装と良いコントラストを生んでいて、ウホっ可愛いなぁ、キレイだなぁ、つか何か今日、最高だなぁ。


という心持になる。


そうして高まったのは良いが、その後はというと、たいていその日一日誰とも口を利かず、淡々と講義を受ける。無論観賞用でない、肝心の女の子の知り合いも全然居ない。高揚した気分は、帰る時分には完全に萎えていた。


何一つ変えようとすることなく、考えることなく、何となく、ただ怠惰に過ごす。
これ自体、とても豊かな環境が備わっているおかげで、いま僕にある「幸福」なのだ。
そういう考えはあれども、そこに実感や危機感が無かったというか、想像力の欠如というか。



なんて、正負ひっくるめ、やっぱ音楽というのは基本的に、ある状況と付帯的にあるものだなと思う。
色々、思い出す。そこに何も無かったとしても、その空虚さを思い出す。


反省の余地というと多分にあり過ぎだけど、当時はその退屈がただただ“嫌”、それだけだった。
変えること、変わることが圧倒的に足りなかった。
じゃ今はというと、相変わらず似たり寄ったりかもしれない。


ったく最悪の野郎、夜郎自大だなまったくよと思い、今度こそヤロウヤロウと思う。
でも、能動的変化というのは、マジで難しいよ怖いし、と。
甘えん坊の僕ちゃんのままで、大変恐縮であります。


ともあれ、それもこれも、今この瞬間より前のそれらは、後悔先に立たない泡の日々。
埋没原価として考慮せず、未来志向の投資ライフをと言うほかに、今のところないですね。